在りし日の京都市内の風景
昭和19年頃か?看板の文字は右から左に読む。
校庭で射撃の演習が行われていた
昭和20年 河原町の朝日会館前を行進する米進駐軍
昭和32年 東郷青児画伯の壁画のある朝日会館を望む。
昭和39年 四条通りを走行中のトロリーバス(空中に張られた電線からの電力で走る)
昭和44年でもまだ京都市内をSLが通ってました。
撮影場所は二条駅を山陰方面に向かって出発したところです。
(以下はクリックで現代の写真を呼び出します)
1930年(昭和5年)の西石垣(さいせき) 木屋町通り四条下ルから北を望む。
画面中央右よりの婦人は、どうやら、銭湯へ通う宮川町の芸妓さんらしい。
現在、老舗の料理屋さんも僅かに残っているが、けばけばしい風俗店が軒を並べている。
昭和48年の一条戻橋(いちじょうもどりばし)
婚礼や霊柩車がこの橋を渡らないのは、橋名の「戻る」を忌み嫌うためだが、
戦時中は生きて帰れるようにとこの橋を渡って出征していった兵士が多かったと聞きます
昭和32年頃の京都市内では、このようなボンネット型の路線バスが走っていました。
昭和35年 三条通り堺町交差点。画面右側の「分銅屋足袋」は現在もこのままの姿で
営業なさっておられます。
昭和33年 住友信託銀行の建物は後に中京区役所として使用されたが、現在はモダンなマンションに
建て変わってます。画面左端の看板に「車」とありますが、ここは自転車屋さんで現在も営業中です。